小鼻で笑う妻
- nobuya2
- 2022年5月27日
- 読了時間: 2分
更新日:2022年5月28日
K子と出会って45年、結婚して40年が経った。ほとんど毎日、一緒に食事をする。午後にはティータイムも。もちろんそれは僕らの仕事そのものだ。企画を思いつけば真っ先に話し、仕事の依頼を受けたらまず相談する。原稿を書きあげたら必ずK子に聞いてもらう。僕が原稿を読み上げるのは、出会ったころからの習慣だ。読めばすぐ鋭い反応が返ってくる。K子は正直で判断が早い。ダメはダメとはっきりしている。まず褒めることはない。原稿の99パーセントがOKでも、そこに目は向けない。気になるニュアンスや言い回しがあるとそこを突っ込んでくる。しかも、悔しいくらい的確だ。ちょっと事情があって、そこはこれで許してよ、と言いたいところをスルーしてくれない。長い文章の、僕がちょっと気になっている1ヵ所か2ヵ所をズバリと突いてくる。文法的な観点よりも、書いた気持ち、取材対象との距離感のおかしさを見逃さない。書き手として正直に綴っているか、つい飾っていないか。うまく書ききれなかったところや、ごまかすわけじゃないが「これくらいでいいか」とつい楽をしたところを必ず指摘する。僕の弱さを嗅ぎ分けるセンスが天下一品だ。とりわけ、何らかの下心や世渡りのための方便が働いて、ちょっと誰かを持ち上げたりすると激しい非難が飛んでくる。僕は、悪戯が見つかった子どものように、K子の叱責にうなだれ、「わかったよ、書き直す」と、パソコンに向かい直すのだ。そうやって、僕は自分の文章と、書き手としての覚悟を磨き続けてきた。
新しい企画を熱く語る時などは、僕が語り始めてすぐ口を閉ざし、まったく言葉を発しない場合がある。そんな時は、語るまでもなく「その企画はダメ」という場合で、僕がどれだけ説得しても評価が翻ることはない。
(また始まった、信也のピント外れには付き合いきれない)
(相変わらず発想がせこいな、バカじゃないの)
というニュアンスの沈黙だ。K子の沈黙は怖い。究極のダメ出しだからだ。
でも、沈黙の中にも救いがある時がある。それは、 K子の小鼻が震えた時だ。
K子の小鼻がもぞもぞ動く。腹の中で、とことん笑っている証拠だ。
僕は、K子の小鼻の踊りに目を奪われる。これほど見事に、小鼻の些細な動きで心を語る人をほかに知らない。
60代の半ばを過ぎても子どもじみた夢や理想を語り続ける僕に呆れ、せせら笑うK子の小鼻は、時に僕の心を激しく逆撫でするけれど、最近はもう、こちらもすぐ観念して、腹も立たなくなってきた。心の内を雄弁に語る「K子の小鼻」は「口ほどに物を言う」。

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